東大観世の日々

能楽サークルって何をやっているのでしょう

自演会を終えて

「今年のシテは本当に元気だった」
あらゆる方からこのような感想をいただきました。
さて実際の私はどうだったかというと…
もう死にそうでした。

面から装束までフル装備していると、視界は本当に目の部分にあけられた小さな穴だけ。呼吸が十分にできません。さらにカシラが結構重い(キツネさんまでつけているとなおさら)ので、「小回りして差し込み開き」なんてフラフラせずにできる方が稀です。
一瞬でも気を抜いたらもう動けなくなる、そんな極限状態にありました。

あんな状態だったのに一畳台(←意外と高さがあります)に二回もとび乗り&とび降り、とび返りを三回とも成功させることができた自分、我ながらよく頑張ったと思います。自分が見所からどういう風に見えていたのかは分かりませんが、もしなんとか見られる形になっていたなら、それは日々の稽古の積み重ねが私に味方してくれたのかもしれません。

何かを感じたり考えたりする余裕などどこにもなく、とにかくただひたすらに舞いました。今は何をやって次は何がくるのか。目の前に迫りくることにとにかく集中しました。「気迫」「迫力」など感じ取ってくださった方がいたならば、このような状態が外にまで伝わったのでしょう。


さて、小鍛冶は私にとって思い出深い演目です。
大学一年のとき二回も小鍛冶を観る機会に恵まれ、両方とも素晴らしい舞台でした。目は瞬きするのも惜しいほど舞台に釘づけ・さらに舞台をみた衝撃で身動きが取れなくなったのを覚えています。能を始めたばかりの頃だったので「能ってこんなこともできるのか!」と大きなカルチャーショック(?)を受けました。

 その時の衝撃がどうしても忘れられず、「私がシテをやっていい」と決まった時からずっと小鍛冶実現のために突っ走ってきました。
前の年新歓で一人も新入生が入らなかったため人数は不足・他の演目よりワキが難しい・アクロバティックな型が多くシテも大変…などなどなど…本当に多くの壁にぶち当たり、いつの時期を切り取ってみても何かしらの「辛さ」と無縁ではいられなかったです。しかし今振り返ると、それらを1つずつ乗り越えていくことで辛さ・苦しさ以上の「学び」があったように思います。これはシテをやってみなければできなかった体験であり、本当に貴重なチャンスをいただきました。


そして忘れてはならないのは、私が小鍛冶を自演会で演じることができたのは周りの人がいたおかげ、ということです。ワキ・ワキツレ・地頭をはじめとする地の皆さん・囃子方の先輩方…などなど本当に多くの方が、忙しいにも関わらず私の我儘を受け入れてくださいました。本当にありがたかったです。頭数が揃ったというだけでも相当ありがたかったのですが、このメンバーで良かったのはそれだけではないです。私自身のモチベーションを保つ上でもとても良いメンバーだったのだと思います。噂で聞こえてくる激しい地謡練の様子は「私ももっと稽古せねば」と自身を鼓舞するきっかけとなったし、ワキ・ワキツレのお二人や囃子の先輩方が稽古で感じたことを伝えて下さったことで自分のどこを改善していくべきか稽古の指標となりました。ありがとうございました!

さらにご指導くださった祥六先生には、どれだけ言葉をつくしても感謝の意を伝えきれません。どこをとっても未熟だった私ですが、先生が見捨てることなく厳しくご指導くださったおかげで最後まで舞いきることができました。本当にありがとうございました。


今年もわずかですが体調など崩さぬよう生きたいと思います。皆さんも元気に年末をお過ごしください!



伊藤有紀子

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明日は

明日は自演会です。
いよいよです!どきどきです!

最近、お稽古ブログをさぼりまくりでしたが、お稽古はたくさんしていました。

明日は今までの練習の成果が発揮されますように。

様々な方々の協力があって自演会ができるので、皆様に感謝の気持ちも込めて発表ができればと思います。

皆様、ぜひお越しください。

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能、やってみませんか

しんしんと、身も心も寒くなっていく秋です。人目も草も離れ枯れの、という感じです。
このブログは5月から9月まで放置されて、2回ほど2年生が書いてくれましたが、それからまた誰も手をつけなくなっていたようです。
自演会の情報をアップして、広告が消えるだろうと思ったのですが、未来日付での投稿では広告は消えないようなので、記事を書くことにします。

……といっても、何を書いたらいいんだろう。個人的なこと、人に言いたくないこと、言ってはいけないことなどを除外していくと、書けることがなくなってしまいます。

東大生の一人としては、「東大生」とひとくくりにされることに反発するのですが、ひとくくりにしたくなる気持ちはわからないでもありません。井の頭線の渋谷から駒場東大前までに乗っている大学生たち(その大部分は東大生です。渋谷にはギャルもいますが、東大生もかなりたくさんいます。)は普通の大学生に見えますが、南北線の東大前駅で僕と一緒に降りる東大生達は、ひとまとまりとしての特徴を持っているように思います。駒場も本郷も学年が違うだけで同じ大学なのですが、本郷の三四年生は駒場の一二年生のように浮かれていないからでしょうか。
その特徴は、一つには、眼鏡をかけている人が多いこと。これはとにかく多いです。半分以上どころではないです。東大観世会でも、稽古に参加している人全員が眼鏡、なんてことはよくあります。眼鏡をかけていなくてもコンタクトをしている、ということもありますから、それを含めれば東大生のほとんどが眼鏡をかけている、といっても言い過ぎではないでしょう。次に、ひょろっとした人が多いこと。東大にも運動部はちゃんとあって、スポーツマンもいます。意外とたくさんいます。しかしそれを除けば、ほとんどの人はひょろっとしています。東大生はひょろっとしていて眼鏡をかけている、というイメージがあるとおもいますが、そのイメージはまあ正しいと言えます。しかし全員ではないので、かっこいいスポーツマンもいます。そして第三に、歩くのが下手な人が多いこと。スムーズに歩いている人ももちろんいますが、ギクシャク歩いている人が結構多いのです。階段を降りているところを見ても、降りているんじゃなくて落ちてるんじゃないのか? という感じの人がいます。
とはいえ東大生のすべてにこの三つがあてはまるわけではありませんし、逆にこの三つにあてはまっても東大生じゃないかもしれません。電車の中などで見ていると、この三つがあてはまる大学生くらいの人というのは結構多いような気がします。
さいきんは電車の中でスマホを見ている人が多いですが、それだけではなくて全く自分の世界に入ってしまって、まわりを全然気にせずにニヤニヤしている人などもいてなかなか不気味です。以前はそういうのは大抵、マンガ雑誌を食い入るように読んでいる、ちょっと社会は苦手な感じの人、というイメージがあったのですが、今では逆にスマホに没入しているのが普通みたいになっています。僕もときどきメールを打ちながら歩いて人にぶつかりそうになったりしているので他人のことはいえませんが、その状態のまま歩いていて人の流れを乱している人も結構いますね。自分も含めて、気をつけたいものです。
総じてこの程はみな、アタマだけが大きくなってきて、身体が置いてけぼりになっているような印象を受けます。身体感覚を取り戻すために、能、やりませんか? 大きなこえだして身体を動かして、楽しいですよ。
能は難しいから……と敬遠せずに。「能が好きになるには、能が好きな自分を好きになること。だけど一番なのは、やっぱりお稽古すること」と関根祥六先生も言っています。
東大観世会は新入部員を募集しています。

(五)

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化学科3年の外山です。先月学生実験で錯体「フェロセン」の合成を試みました(残念ながら失敗しました…)。フェロセンは鉄Feが五角形の炭素環に挟まれている形状で、鼓形錯体とも形容されます。

ferrocene
ferrocene


小鼓

いかがでしょう、見えましたか^^

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像を結び直す

最近は専ら閲覧専門だったのですが、久しぶりに書いてみます。

さて、皆さんはお能を観ている時、どんな顔をしているのでしょうか?

私の場合、嬉しくてついついにやにやと、顔がにやけてしまう時があります。
(おそらく客観的には相当気持ちが悪いです(笑))

例えば、どんな時かと言うと……

「巻絹」で、「神は上がらせ給ふと言い捨つる」と、
“ホントウに”神様が巫女から抜け出で、天へと上がっていくのが≪見えた≫時……

「安達原」の、2回目の次第前「月もさし入る/閨の内に」や、ロンギ「月に夜をや待ちぬらん」で、
月を観るシテの姿を通じて“ホントウに”月が≪見えた≫時……

「西行桜」の後で、“ホントウに”闇夜で発光するが如く輝く桜が≪見えた≫時……

「海士」の玉之段で、舞台上が“ホントウに”日の光も届かない暗く深い海底に≪見えた≫時……

こういう舞台に出逢ってしまうと、お能を観るのは止められません。

最近、お囃子方の某先生とお話している時に思ったのですが、
お能を楽しむには(お能に限らないかもしれませんが)、
目に映る像をただ追いかけているだけでは楽しくなくて、
その像を自分の中に取り込んで再び結び直す必要があるのではないか、と。

勿論、毎回その「再構築」に成功するわけでもないのですが、
舞台セットとしては存在しない、例えば安達原の月が、
自分の中ではありありと≪見える≫……。
能の手法は偉大だと思います。

さて、「田村」。
今年の夏、舞台を観に行った時、前クセ前の下歌「あらあら面白の地主の花の景色やな」と、
春の長閑な光を浴びながら、はらはらと散る桜の花びらが≪見え≫(た気がし)ました。
自分達で謡っていてなかなかうまくはいかないのですが、
あと1ヶ月、精一杯稽古をして、
自演会では是非満開の桜を≪見て≫いただけたらと思います。

ついつい長文に…
駄文にお付き合いありがとうございました、さくらこでした。

※追記
ゑさんから、「今年の一年生を紹介するとか、長老を紹介するとか」と
コメントを頂いてはいましたが、自演会のパンフレットには、
長老による“愛情のこもった”会員一人一人の紹介文が載るそうなので、
そちらをご覧ください

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