東大観世の日々

能楽サークルって何をやっているのでしょう

今日の稽古

明日が師匠稽古だし、4月になると新歓やらなんやらでなかなか稽古できないと思ったので、今日はみっちり稽古しました。
具体的には、明日の師匠稽古に出す仕舞の「嵐山」と、素謡の「経正」のシテ、そして今度やる舞囃子「猩々」の練習を主にしました。

「猩々」の中の舞は、今日は2回目の稽古ということで、時々戸惑いながらも何とか最後までできるようにはなれた。曲がりなりにも一度完全に通す経験をすることで、頭の中も整理されるし、できたという自信もついたのでよかった。ただ配りがまだまだ覚え切れていなかったり、所々怪しいところもあったので、回数をこなすことで練度を高めていきたいし、最終的には「猩々」らしい舞ができるような所まで持っていきたい。
その後、シテ謡とキリの舞も教えてもらった。シテ謡は結構難しいけれど、決してできないレベルではないし、その分やりがい、練習しがいがと思うので、しっかり稽古して上達していきたい。


卒業生の方は柏蔭舎稽古としては今日が最後の稽古である一方で、早くも入部希望の人が一人見学に来てくれていて、世代の移り変わりを感じさせられたというか、なんだか寂しかったです
卒業生のみなさん、改めましてお疲れ様です(*^_^*)

BY かわ

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桃桃会の感想

3月18日(土)に桃桃会@観世能楽堂を見に行きました。
能が合計3番、家元シテ「摂待」の、祥六先生シテの「吉野天人」、祥人先生がシテの「藤戸」という超豪華な面目で、あの広い会場もほぼ満員でした。

「摂待」は、義経・弁慶一行の12人の迫力がすごかった。長いけれどもストーリーも分かりやすい能で、集中してみることができました。家元がシテの能を見るのはこれが初めてなんだけど、シテの動作も謡声も老婆らしく、どこか悲哀みたいのが感じられてすごく共感できた。「演じる」とはこういうものなんだなと改めて思った。
鶴若を演じた子方の祥丸君も、うまかった。義経に駆け寄るシーンや、最後シテの老尼に抱かれながら義経一行を見送るシーンなどは、胸に迫る物があった。これで子方の曲は全部やったことになるらしい。これからもがんばれ~
あと、ツレの一員(兼房)として入っていた祥人先生の声も群を抜いて迫力があった。やっぱり祥人先生の謡声は、プロの中でも迫力がずば抜けているなぁと思った。

逆に「吉野天人」は、軽い気持ちで見れた。今回は天人揃えという演出で、後場で5人の天女が出てきて中の舞とキリを5人で舞うというものだった。演出の華やかさもさることながら、個人的には次に中の舞のある舞囃子をやる予定なので、唱歌を片手に中の舞をじっくり観察させてもらいました。

次はいよいよ我らが祥人先生の「藤戸」、というところで自分は私用のため(空手の稽古のため)に残念ながら途中で帰らないといけませんでした…
誰か他に見に行った人、感想を求む!

観能の経験もそれなりに回数を重ねてきて(春休み中とか結構見に行った)、最近ようやく能の面白さとか味とかが少しは分かるようになってきた気がする。初めの頃は勉強のためとか、義務感で見に行っていた部分もあったけど、最近は純粋に楽しみに見に行けるようになってきた。下手な映画見るよりは、能を観る方がずっとおもしろいね(^_-)

BY かわ

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春四

嵐山に行きました。
朝未だ観光客もほとんどいない駅に降り立ち、まっすぐ町並みを進んでいくと、大堰川(桂川)に出ました。
その対岸にある嵐山は霞かかって、ほんとうに美しく感動しました。

写真を撮ろうと思いましたが、雄大な川の流れと嵐山の山容から感じた気持ちは、その瞬間に受けた感動そのまま記憶にとどめておきたいという思いにかられ、やめておきました。

昔に較べて、旅先で写真を取ることがほとんどなくなりました。
旅で見た風景は、そこまでの道のりにおいて高まった期待感や周囲の空気感等さまざまな要因があって、感動するのだと思います。

私達は常に時間のなかで揺れ動き、流れ続ける意識の中で世界を捉えます。
しかし、写真は、時間の流れを止めます。そして、その瞬間において切り取られた世界の、きらきらと光る切断面を我々は覗き込みます。

私達は決してそのような目で世界を見ることはできないのです。
旅で写真を撮らなくなったのは、写真と実際に見た風景の間になんらかの「ずれ」を無意識に感じているからかもしれません。
                          (鷹倉健)

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