東大観世の日々

能楽サークルって何をやっているのでしょう

「上達」について(珍しくまじめな内容です…)

何か物事を成し遂げようというときに、努力なしに成功することが不可能であることはいうまでもない。しかし、ただ闇雲に努力するだけではあまり意味はなく、「正しく努力する」ことこそが重要なんだと思う。
ここでいう「正しく努力する」というのは、ただ漫然と練習するのではなく、正しい指導を受けながら、正しいプロセスを踏んで努力していく、ということである。
よく言われることかもしれないが、能にせよ何にせよ(自分は空手をやっているのだが、その空手にせよ)、上達するためには以下の4つのステップを正しく踏んでいくことが大切なのだと思う。

①まずは理想型を知る(先生や先輩の技を見本にする)
②自分の技と理想の技とのギャップを認識する(自分にはここができていない、など)
③そのギャップを埋める練習方法を考える(今度の稽古では、ここをより意識して練習してみよう)
④その方法に基づいて努力する(これはもう、ひたすら数をかけてやるしかない)

これは能以外の全てのことに関しても当てはまること、いわば「上達の王道」であり、一つ一つの課題を地道に克服していくのが、結局は一番の近道なのだろう。

①の理想形は、東大観世会には関根先生という超一流の先生がいらっしゃるのだから、ものスゴイ恵まれている。
あとは②と③に、いかに自分で妥協せずに取り組んでいくか、そして④の、単純にどれだけ稽古できるかは、部員個人次第であると思う。


OB会も終わり、次はいよいよ自演会です。みなさん頑張っていきましょう!!


BY かわ

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noh

8月の後半タンザニアに行ってきました。
現地ではほとんどの期間、世界各国のボランティアと共同生活していました。

色々と心に残ったことはあったのですが、外国人の前で能のプレゼンをしたことは最も印象的なことの一つです。
謡少しと型少し(強い仕舞の「サシ込開」、月を見る時の型と恥ずかしがる時の型←「葛城キリ」の仕舞にある)を実演しました。

想像以上に受けて嬉しかった。
私の前で型を真似てみせたり、「こんなカリスマティックな動きは初めて」と言ってくれたり。

「能は敷居が高い」という固定概念がないからか、素直に楽しんでもらえたような気がします。「ちびっこ能楽教室」で能を子供たちに教える時の感覚もこんな感じなのかな…。

少しは「能楽の普及・発展に寄与」できたかな。
そのためには、まずは自分を磨かないと!!


Moeha

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装束と身体の関係

8月30日~9月1日まで駒場キャンパスと表参道の銕仙会で表象文化論の集中講義がありました。
8月30日は駒場で講義。31、9月1日は銕仙会で実習という構成でした。
特に、9月1日には、室町時代の能面を拝見させていただき、また、装束と鬘を直接身につけることができ、大変貴重な体験をしたと思います。
講義と稽古を担当してくださったお方は、観世銕之丞先生でした。あと松岡心平先生もいらっしゃいました。

観世銕之丞さんとは、何かと縁が深く、韓国のタルチュムフェスティバルでお目にかかったことがあり、今回また、こういうかたちで教えていただき、まことに幸せだったのです。

この集中講義には、観世会のcさん、まりえさん、大井さん、吉井さんもご参加になりました。三日間本当にお疲れ様でした。

さて、挨拶はこれくらいにしておき、本題に入りたいと思います。

その本題とは、能の装束と身体の関係についてです。
上にも書きました通り、三日目の9月1日には装束を身につけさせていただきましたが、装束の紐で強く締められたら、不思議と体が緊張し、妙な気持ちになりました。そのうえ動きもかなり制限された状態になりました。このように、装束による身体に対する抑圧は、能の性格を決め付ける要因の一つになっているのではないかと思いました。

また、このような身体の抑圧による「エネルギーの収束」は、韓国の仮面劇であるタルチュムの、あのアクロバティクなパフォーマンスによる「エネルギーの発散」とはある意味対極の位置にあるとも言えます。
タルチュムの場合、その服装はとても動きやすくなっており、服の紐をきつく締められることもありません。

こう考えてみると、やはり装束と身体の関係というのはとても重要であって、そしてその関係から生み出されるエネルギーの収束・発散の問題は、一考の余地があると思います。

私にとって、装束を身につけた事は、何とも不思議な体験だったとしか言いようがありません。

by Noh

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