東大観世の日々

能楽サークルって何をやっているのでしょう

夏合宿があったのだよ

 和館利用が停止となり、一時は中止の危機にさえ晒された今年の夏合宿だったが、二日間の日程で無事開催された。と、夏合宿について順を追って書こうと思ったが、一日目の仕舞大会はこしがやに行っていたので内容はよく分からない。こしがや能は「おお能だ!」と思ってしまうぐらい久し振りの能であった。
 駒場に帰ると皆、仕舞大会の余韻に浸っていた。お疲れ様です。そして、溜まった(?)疲れを癒しに一同銭湯へ行った、らしい。実は夕飯までは一緒だったが、自分はその後家に帰ってしまったので本当に行ったかどうかは分からない。というわけで、柏蔭舎での恐怖の夜というのも自分は知らない。こうして一日目が終わる。
 二日目、午前中は各自稽古、一時からは舞囃子「安宅」の申し合わせであった。この申し合わせ、ありがたいことに中谷先生に見て頂いた。シテの高津さんは大分緊張しているように見えた。
 夕方頃から祥人先生に稽古をつけて頂く。謡の練習不足を実感した。
 終わると、祥人先生からプレゼントのワイン!本当にありがとうございました。もちろんワインは打ち上げで活躍しました。
 今回の打ち上げには「たこ焼きパーティ」という題がついており、その名の通りたこ焼きがメインである。楽しいね、たこ焼き。慶応、一橋さんからも来て頂き、とても賑やかであった。ダバディさんにはかなり焼いてもらった。そして皆が程よく壊れたころにスイカ割り。平賀のパワーが炸裂する。ここから自分の記憶はスイカによって埋め尽くされている。まあ、皆ぐだぐだしていたのであろう。

 合宿企画の千葉さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。(大分、遅れたけど)

 大分、補完されるべき点が多い気がする。皆様、是非とも付け足しを!(特に一日目!)

 全然関係ないんだけど、ホタテの焼き方を教わったから、ここに書いておこうと思う。
~網でホタテを焼く方法~
1.平らな面を下にして焼く。(ホタテがもがく・・・)
2.ホタテの身が片方の貝殻から離れたら(パカッとする)、閉じてひっくり返す。中の汁が出ないように注意。
3.下の貝殻を押さえ、上の貝殻をもぎ取る。そして取った貝殻は被せて、蓋にする。(二人いると楽)
4.汁が全て飛ぶまで焼く。
→出来上がり

かしわむら

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Summer Wars

 面白かったが、脚本のレベルが好き嫌いを超越して低かった。どこかで聞いた事があるような使い古した言い回し。百人が見ても一通りの見方しかできないストーリー。世界中のコンピュータを支配しているセキュリティを高校生が数分暗算しただけで突破できる(RSA暗号の類だろうが、パソコンに解けなくて人間に解ける類の暗号ではない)などの非現実的な展開。バラバラに散りばめられ、何の有機的な繋がりも為さない要素、人物、エピソード。
 時をかける少女でクリアしていた、どんなジャンルの脚本でも超えなくては一流とは言えないレベルを今回は超えていなかった。最低限の完成度と、何らかの新しい切り口、である。
 たとえば本作の「悪役」であるラヴマシーンを作った侘助だが、理由が「でっかい仕事をしておばあちゃんを喜ばせたかった(台詞がチープで思い出せないが)」…では何故それがAIである必要があったのか。ストーリー上、「家族にAIを作った人がいる」「侘助はワルぶっているがおばあちゃんが大好き」である必要があり、この二つを安易に足しただけである。
 作品の中心にあるOZという仮想世界。これはデジタルを限りなくアナログに近づけた世界だが、そうした世界を設定した脚本上の意味は?デジタルを極めた敵にアナログで対抗する?しかしこの映画の中ではデジタルとアナログが限りなく不可分でそうした図式も見えてこない。
 力で支配しようとする敵とそれに対抗する人と人との絆の強さを描きたいのだろうか。しかしその勝負を決する花札にそうした意味や象徴性が見出せない。何故花札なのか?家族でやるような遊びだから。それだけですか…。
 たしかに一人一人は魅力的なキャラクター達である。しかしこの映画はその大勢の家族が集まって、1+1=10になる、これはそうした作品ではないのか?この作品は1+1=2でしかないのだ。その足りない8を補うのが「新しい切り口」だというのに、この家族のキャラクター達は何ら+になるような化学反応を起こしていない。何かこの映画は「家族」に対する独自な切り口を開いたか?少なくとも私は何も感じなかった。
 作品の要素を有機的に結合させる物が「新しい切り口」である。細田監督と比較される宮崎駿だが、彼の作品には色々なジャンルがあるが、どの作品もそのレベルは超えていた。たとえば魔女の宅急便では「魔法は絵やパンを焼くのと同じでただの才能」という斬新極まりない切り口を提示しそれを軸に一見バラバラな要素が綺麗に絡み合う。冒頭でキキが自分でお母さんの箒を貰う。これは先人のマネをしているだけで、いつか無理が来る。だからただ飛べなくなるだけでなく、練習中に「箒が折れる」というエピソードが深い意味を持ってくる。今回のサマーウォーズはせいぜい「お母さんに貰った箒は嵐にも驚かない箒って言っていたのに、車には驚くなんて、田舎者の箒だなあ。くすっ」というレベルの要素同士の繋がりしかない。それではつまらない。この夏、ヒットするだろう。賞を取ったりするのかもしれない。だが時の試練に耐えられる作品ではない。

 勿論普通に面白いし、私は見てて半泣きになったのだが、だからこそ余計に…。うーん。

 話は変わって、時の試練を耐えてきた脚本を前に四苦八苦。こちらは脚本よりそれを形にする人に問題があるようで。小袖曽我―僕らにとってのWinter Warsで、15人が15人以上の面白さを生み出せたら良いですね。

 この記事はネタバレがあるので、まだ映画を見ていない人はなるべく忘れて下さい。

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