東大観世の日々

能楽サークルって何をやっているのでしょう

像を結び直す

最近は専ら閲覧専門だったのですが、久しぶりに書いてみます。

さて、皆さんはお能を観ている時、どんな顔をしているのでしょうか?

私の場合、嬉しくてついついにやにやと、顔がにやけてしまう時があります。
(おそらく客観的には相当気持ちが悪いです(笑))

例えば、どんな時かと言うと……

「巻絹」で、「神は上がらせ給ふと言い捨つる」と、
“ホントウに”神様が巫女から抜け出で、天へと上がっていくのが≪見えた≫時……

「安達原」の、2回目の次第前「月もさし入る/閨の内に」や、ロンギ「月に夜をや待ちぬらん」で、
月を観るシテの姿を通じて“ホントウに”月が≪見えた≫時……

「西行桜」の後で、“ホントウに”闇夜で発光するが如く輝く桜が≪見えた≫時……

「海士」の玉之段で、舞台上が“ホントウに”日の光も届かない暗く深い海底に≪見えた≫時……

こういう舞台に出逢ってしまうと、お能を観るのは止められません。

最近、お囃子方の某先生とお話している時に思ったのですが、
お能を楽しむには(お能に限らないかもしれませんが)、
目に映る像をただ追いかけているだけでは楽しくなくて、
その像を自分の中に取り込んで再び結び直す必要があるのではないか、と。

勿論、毎回その「再構築」に成功するわけでもないのですが、
舞台セットとしては存在しない、例えば安達原の月が、
自分の中ではありありと≪見える≫……。
能の手法は偉大だと思います。

さて、「田村」。
今年の夏、舞台を観に行った時、前クセ前の下歌「あらあら面白の地主の花の景色やな」と、
春の長閑な光を浴びながら、はらはらと散る桜の花びらが≪見え≫(た気がし)ました。
自分達で謡っていてなかなかうまくはいかないのですが、
あと1ヶ月、精一杯稽古をして、
自演会では是非満開の桜を≪見て≫いただけたらと思います。

ついつい長文に…
駄文にお付き合いありがとうございました、さくらこでした。

※追記
ゑさんから、「今年の一年生を紹介するとか、長老を紹介するとか」と
コメントを頂いてはいましたが、自演会のパンフレットには、
長老による“愛情のこもった”会員一人一人の紹介文が載るそうなので、
そちらをご覧ください
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C.I

個人的には、本を読む時の感覚に近いような気がして好きです。
文字の向こうがわに像をみるような あの感じなんですが 巧く表現できない...

| URL | 2011-11-13(Sun)03:49 [編集]