東大観世の日々

能楽サークルって何をやっているのでしょう

自演会を終えて

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もう一週間経ってしまいましたが、皆様のおかげをもちまして、平成25年度東京大学観世会・東大観世OB会合同自演会は無事終了いたしました。
ご来場いただきました皆様、ありがとうございました。

私は今回シテをつとめさせていただきましたので、その感想をすこし書きたいとおもいます。
とにかく本番までの、特に直近の2ヶ月くらいは、能へ向かっていく気持ちが生活の第一にあるという感じでした。シテの謡は(仕舞の地、連吟紅葉狩もですが、)とにかく毎日謡うということを自分に課して、学校後に部室に通いました。毎週土曜日には父方の実家の2階の座敷で稽古をし、日曜日の朝はみんなで集まって稽古でした。これではまだまだ、稽古量としては足りなかったとおもいますが、しかしそれでも、やっているうちに、昨日と今日では謡い方が変わり、それが一週間分重なって先週と今週となるとだいぶ違ってきているというのが自分でわかりました。ふだん仕舞の稽古をしていると、謡を覚え方を覚え、大体きれいにできるようになればそれでいいやと思ってしまうのですが、これだけ長い間(曲が決まって覚えはじめたのは4月か5月だったように思います。あるいはもうちょっと早かったかもしれません)、ストーリィのある一曲と取り組んでいると、そのすこし先のこと、先生のよく言われる「心」のことに、すこしは触れることができたのではないかという感じがします。
いくつかの細かい失敗はありましたが、後悔はありません。

このほぼ三年間ずっと考えていたのは、学生がやる能とはいったい何なのかということでした。学生は玄人ではありませんが、純然たる素人とも違います。一般の素人の方は基本的に発表会でシテしかやりませんが、学生は地謡まで全部自分たちでやります。連吟も素謡も、仕舞も舞囃子も、東大では能だってそうです。しかし絶対に玄人ではない。玄人にとってのように仕事でもないし、素人にとってのように単なるお楽しみでもない、何ともつかない中途半端なものが学生の能なのです。僕は負けず嫌いなので、それがずっといやでした。しかし能をさせてもらって今考えてわかることは、それは要するに「特権的な地位」というやつなのだなということです。玄人のように大変な修行を経ず、うるさいことはいわれずに、しかし一般の素人のように制限されたやり方ではなく、「玄人みたいなこと」をさせてもらっている。玄人であったら基本がしっかりできてから、さてその上でこの曲の「心」は、となるのでしょうが、我々はそこをショートカットして、曲の「心」を楽しむことができる。大変にありがたい立場にいるのだということが判りました。

とにかく本番までは生きていなくてはならない、ただ生きているだけでは駄目で、ちゃんと生きていなくてはならない。風邪を引いてはいけないし、病気になってもいけないし、けがをしてもいけないし、鬱になってもいけない。事故に遭ってはいけないし、恨みを買って殺されてもいけないと思い詰めて生活していました。今までの21年間のなかで、一番まじめに生きた時間だったかもしれません。終わったらホッとするかとおもいましたが、ホッとすることはしましたが、あまり呆然となったりはしませんでした。また次、もう次、という感じです。

自演会を境に会員の人数がぐっと減ってしまいましたが、我々は次の舞台を目指してがんばっています。これからもどうぞよろしくお願いします。

(五)
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色々とお疲れさまでした!!!

ぐ | URL | 2013-12-29(Sun)16:24 [編集]