東大観世の日々

能楽サークルって何をやっているのでしょう

能の伝統とは何か

 観阿弥・世阿弥父子により大成された能は舞・楽・詞というそれぞれ芸能的・文学的要素を併せ持っている日本中世を代表する総合芸術であると言える。この能は先行する古代の芸能・文学を受容・発展させながら、さらには近代の歌舞伎・浄瑠璃の「本行」として強い影響を与え、近・現代の種種の文学作品の素材・典拠ともなった。この能が成立した社会的背景と能が600年以上もの長い間断絶されることなく維持できた歴史的背景には当代の権力者と寺院の庇護があり、明治維新前後には「近代」を受け入れ「前近代」を排斥する流れから能を守るための努力があった。すなわち、 舞・楽・詞に政治・社会までもが一体化しているのである。このように、能は、如何なる形であれ、ほぼ日本の全時代と有機的な関係を持っており、当然その享受の歴史も長い。即ち、能は長い伝統を持っているといえる。

 では能の伝統とは一体何だろうか。伝統とは「ある社会が長い歴史を通じて培い伝えてきたモノ、そしてその中心をなす精神的在り方」と辞書的定義ができるが、その、「精神的在り方」というところに私は注目したい。

 能の曲目に「翁」がある。「能として能にあらず」というが、ここでの「能」とは、おそらく現代の我々の目から見て思う「能」であろう。というのは、おそらく「翁」の成立した頃の能というのは今とは違い、かなりダイナミックな要素を多分に多く内包していただろうと思われている部分があり、その身体性なども今のカマエなど成立する前の時期であるから、今のカマエによって成り立っている身体性とは異質なところがあると推測できるし、能の先行芸能であったと思われる散楽や田楽などの存在も念頭に置く時、当時の「能」というのが今我々の享受しているような形そっくりの能とは言えない部分があると言えるからだ。能の装束だって今に見るあの華麗な装束は勿論安土桃山時代以降のものであって、世阿弥時代の能の装束というのは今とは違うと思われるし、上演時間の長短など、どこを取ってみても、今の「能」は昔の能とは相違するところがあると言える。

 しかし、にもかかわらず、それでも同じ能ということに変わりはないだろう。それは、時代によって能が変わったといえ、上記の「精神的在り方」が同じである限り、これからまた如何なる形に変化しようと能であることに変わりはないからだ。またそれは、例えばインドのシブァ神がどのような姿で現れてもその神の本性に変わりはないということとも同じことではなかろうか。

 限られた紙面の中、多くのことは書けないが、要は能の伝統とは常に変化していくものであって、だからこそ能は昔のものであると同時に、これからも進歩しつづける未来のものでもあるということを、能を享受する我々は常に意識する必要があるだろう。

 以前、観世会の河田 学氏は能の上達のために「正しい努力が必要だ」と言われたが、その「正しい努力」とは、実は能の上達だけでなく、能の伝統の、その精神的在り方のためにも必要であることを、改めて感じている今日この頃である。

By Noh

(この文は一部を除き自演会パンフレットに投稿したエッセーに基づいております。重複投稿ですみません)
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コメント


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僕の名前が出てきているのでびっくりしました…。

確かに、時代と共に能のあり方も変わっていくのは当然ですよね。

かわた | URL | 2006-12-03(Sun)00:32 [編集]